愛犬と毒母!犬の認知症が自分と向き合うきっかけになりました

愛犬が認知症になり、メンタルがやられました。
カウンセリングとタッピングセラピーで少しは楽になりましたが
同時に「これは自分と向き合うときが来たんだ」と感じ

現在もカウンセリングを受け続け、そこで毒母問題に気づきました。

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愛犬の認知症で弱すぎる自分がイヤになる

愛犬が認知症になったとき、私はとにかくショックでした。

最初はそれほどでもなかったのだけど、恐れていた夜泣きが始まると
ほとんどパニック状態です^^;

食欲は無くなるし、夜も眠れない。

心が弱い自分を呪いました

そうして毎日サプリを探しまくりどんどん注文して飲ませ

同時進行で漢方も飲ませこちらもどんどん薬局を変えて

「ピタッ」と夜泣きが止まる可能性に賭けていたのです。

犬は自分より先に齢を取る
自分より先に必ず死ぬ

わかっていたはずなのに、認知症を認めることが出来ない。

そして完璧ばかりを目指しているのです。

誰も私のことを責めていないのに

「人に迷惑かけちゃだめだーーー」
「吠えさせちゃだめた」

これはもう強迫観念に近いんです^^;

なぜ私はこんなに他人に気を使うのか?

なんで少しのマイナス点も見逃すことが出来なくて完璧を目指したがるのか(出来ないのに)

そこで思い当たったことがあります

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それは、母親との関係性です。

毒母問題をずっと抱えていた私

実は私、ずーーーーっと親子関係
特に母との関係に問題を抱えています。

(父も問題ありだったけど他界したことで今はもう忘れがち)

いや、母はそれほど感じていないと思います。

私の母は子供に対する支配がめちゃくちゃ強い

要するに毒母だったのです。

でも本人は全く気づいていなくて

自分は良い母だと思っていたと思います。

私も自分の親はこんなもんだと思い常にストレスを抱えていたけど

サッサと実家を離れたら全て解決すると思っていました。

しかし、植え付けられた価値観はそうそう簡単には変わらなく

それもボディブローのように効いてきます。

親子関係に問題ありと気づいたのは30代になってからで

ある時、職場環境が変わって不眠が続いて職場近くの内科クリニックに何気なく行き

軽く眠剤を貰えないかと相談したときのこと。

その医師がメンタル系に強くカウンセリングを数回受けることになりました。

当初、母のことは何も話していないのに
先生があっさりと

「あなたは、親子関係に問題があるのかもしれません」と言い出しました

それを聞きなんの違和感も感じなかった私。

やっぱり・・・と言った感じ。

考えてみたら、犬を飼おうと決めたのも
母から逃れたかったからというのもありました。

それまで遠く離れた北海道は函館で暮らしていた母が
離婚して1人暮らしをしていた兄の元で(我が家から電車で1時間半の場所)
一緒に暮らすようになったのです。

母がこちらに来るということで、私もせっせと兄と母の家に泊まりに行ったりしていました。

しかし・・・
なんども通っているうちに、次第にまた母に支配されているような感覚に陥ってきたんですよね^^;

そんな時、ちょうど犬を飼うタイミングが合って飼う事になりました。

こうして母のところに会いにいく機会は激減

犬のお世話がありますからね〜^^

しかも母は犬を始めとする動物が大嫌い。

こうして私はどっぷりと犬にのめり込むのです。

愛犬を良い子にしようと躍起になる私

やんちゃな子犬をどう育てたら良いのか分からず、毎日本を読み漁りました。

本の通りにせっせとしつけをし、それでも飽き足らず

ペットシッターさんに依頼し、最初は週2回途中から週1で1年近く
しつけを学びました。

シッターさんはうちの母に似た厳しいタイプの女性でした。

のちにご近所の方数人が、同じシッターさんのお世話になったけど
厳しいばかりで犬が可哀想だと、すぐに止めたと言ってました^^;

私はどうもこういう強気の人に弱いところがあります。

今思うと、そこまでする必要あったのか???とかなり疑問。

アレルギーがあると知れば、ステロイドを使わずに
なんとか体に負担なく治す方法はないかと
躍起になる。

代替療法のホメオパシーや、手作り食のセミナーに足を運び
無農薬野菜でご飯をせっせと作って
愛犬のアレルギーが治ってきたときは
ものすごい達成感がありました。

なぜ私は手抜きが出来なかったのか、
なんで完璧を目指してしまったのか

と最近しきりに考えてしまいますが

行き着くのは結局母なんですよね。

母は私が何かで成果を出しても決して褒めません。

それどころか鼻で笑うような性格です。(ひでぇー)

これは子供のころからそうなのですが
それなのに、いつかは母に「あらすごいわね」と言わせてやりたい

と思っていたのだと思います。

愛犬は私の身代わりのようなもので

愛犬が良い子で人に褒められるのは「私が褒められている」

ような感覚に陥っていたのかもしれません。

愛犬の認知症は自分に気づくきっかけになった

愛犬が認知症になり、そこから私もメンタルがボロボロになって
心療内科に行き、カウンセリングも受けました。

投薬などより、カウンセリングが私にはとても合っていました。

そして自分に合うカウンセラーさんを見つけてしっかりと自分に向き合うことにしました。

今まで封印していた自分自身に向き合うときが来ていたんですよね^^;

数人のカウンセラーさんのセッションを実際に受けて
あぁ、このカウンセラーさんだ!

と思える人に出会い、今も2ヶ月に一回程度カウンセリングを受けています。

愛犬の認知症がきっかけでこうして自分に向き合うことになったのでした。

カウンセリングでは毎回、起こった出来事に対して

「なぜそんな事が起きたと思うのか」

「なぜあなたはそう感じたのか」

と深く掘り下げていくのですが

その中で、なんども私が感じたのは

「私は自分を中心に考えることができていなかった」

そして自分のことが好きじゃなかったということ・・・

自分がイヤだから、自分をなんとかしたいから、せっせと犬を可愛がっている。

ワンコは可愛がられなかった私の身代わりだったのです。。。

もっと、広い気持ちでワンコのことを可愛がりたかった。

そんなことを今思っています。

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